2013年6月8日土曜日

でもな、二度と

「東北のある小さい町に、ちょっとした資産家がありました。旧家。ところが父親が亡くなって、母親と男の子一人になった。そのうちに、小作料がだんだん入らなくなった。広い土地もだんだん取り上げられて、それでもその町では相当の資産家だった。ところが、男の子が高校を出て大学受験を3度すべった時から、ぐれ出して、今で言う何々組という暴力団に入るようになった。母の目をかすめては、父の残した書画や、骨董品や、いろんなものを持ち出したり、時々は喧嘩で新聞だねになったり、バクチをして捕まった、とか話題になっていた。3ヶ月に1度、5ヶ月に1度、帰ってくるたびに、母親が意見するけれども、一旦あのグループに入ったら、なかなか足抜きができない。そうこうしているうち、ある日息子が帰ってきた。何も言わずに自分の部屋の机の前に、あぐらをかいて、頭を抱えて、ジッと考えていた。母は障子の陰からそって見ていたら、引き出しから5寸3分のアイクチを出して、何かしようとしているから飛び込んでいって手を捕え『何をするんだ』と聞くと、『親分に不義理なことをしたので、指をつめて、わびにいかなければならなくなった』『だから、いわないことじゃない。そういう事もあるから、早くやめろよと言ったのに、言うこと聞かないから。指を持っていけば許されるのか。指を持っていけば本当に許されるのか』
 この社会では、親分に罪を犯した場合には、詫びのしるしに、ここから切った。女のトラブルの時には小指をつめる。仲間に対する罪は、中指をつめるというおきてがある。この人は、どこか分からないけど、『指を切って持っていかなければ』『指をもっていけば』『本当に』『赦されるのだね』と。それを聞くなり、子供の手から、そのアイクチを取って、自分の指をブスっと切ったのです。
 母親は、その指をもって親分のところへ行ったって。『何の誰がしの親です。子供の罪は親の罪。子供の失敗は親の失敗。子供の指も親の指も同じだと思うから、指を持って来たから、あいつの罪を許してください』って、言ったって。それを聞いた親分が、さすがに顔色を変え、母親のその切羽詰った愛情の深さに、真っ青になって震えた。『よろしい』『じゃあ、もう一つお願いします。親分、子分の縁を切っていただきたい。二度と息子と関わり合いをつけないで下さい』『それもよろしい』
帰ってきた母親『許してもらったぞ。でもな、二度と、あの人たちのところへ行ってはだめだぞ。また、私の指をつめることのないようにしてくれよ』と。言った。~「それは、いつですか」より~

2013年6月6日木曜日

言わずに

「横浜の事務所にいた頃の話だか、ある日、仕事を終えて帰って玄関に入った。
ところが、玄関に、新しい豪華な?スリッパが二足揃って出ている。
 私の心にすぐに浮かんだのは、古いが、まだ使える今までのスリッパを捨て、高価なものを買ってきた家内の気が知れない。
 贅沢にも、こんな高価なもの・・・・・・ムッとしながら部屋に入った。
 人に注意か警告をする時は、疲れた時、空腹の時、睡眠不足の時を避けなさいと、賢人の言葉を思い出して・・・・ジットガマンしながら、食卓についた。
その時、
『父様、今日三人の娘たち共同で、私達の誕生日のお祝いですと、あのスリッパ送ってくれましたよ。立派でしょう』と・・・・
 私は3月12日、家内は3月13日1日違いでいつも娘たち一緒に祝ってくれていた。
これを聞いて、ドキッとした。ハッとした。
玄関に入るなり、興奮しながら、
『どうしたの、この贅沢なすりっぱは、いままでのものだって、まだ一年や半年はつかえるでしょう。ムダなお金をつかわないよう注意しなさい』なんて言っていたら、傷つけた。心の傷はスリッパが擦り切れて捨てるまで治らないであろう。
 言わずにいてよかったと、わきの下から冷や汗をしながら思った。」~「それはいつですか」より~

泣くのは当たり前だ。泣かせろ

何年か前、東北旅行の時、秋田から盛岡行の夜行列車にのっていた時のこと、車内の人々が気持ちよく寝ていた。ところが、どこからのったのか泣く子の泣き声で目をさました。
 老婆におんぶされたあかちゃん、いくらあやしても泣きやまない。だんだん泣き声がひどくなる。あちこちで『やかましい』など声が聞こえた。
 オロオロしながらドアの外に出たり入ったりしていた。
 その老婆が、『すみません。この子の母が亡くなって、乳をもらいにいく所です。どうしようもありません。』
それを聞いた人々は
『泣くのはあたりまえだ。なかせろ』

そんな事って結構あるのかもしれません。